行ってみなければわからないこと

(福島県相馬市 プレマ基金の活動でつながった方たちと)

プレマ基金の活動で3.11の震災以降、福島県を中心に130日以上の滞在日数を重ねてきました。私たちは被災地で暮らす人たちと、ふれあい、共に喜びも悲しみも分かち合い、寄り添うということで見えてきたことを実践してきました。それは、現地で聞き、目で確かめ、本当に必要とされるものや、そこに暮らす人たちの生活に役立つ物資を、自分たちの足を使いお届けするということです。それにより、本当の意味で被災地のQOL向上に必要なお手伝いが見えてきます。時には県や市などの自治体で行なわれる行事にも参加、協賛し、心の支えになるお手伝いもできたのではないかと思います。けれど一つどうしても気になることがありました。それは福島に住む大人たちのことです。

震災以降、全国から被災地のこどもたちに沢山の心温まる支援が寄せられました。被災地の大人たちも、こどもたちのために全身全霊を尽くしてきました。けれど、ひょっとして大人たちへの支援というのは充分に成されていないのではと、ふと思うときがあります。

そんなときに名乗りを上げてくださったのが、お取引先でもある株式会社 三旺インターナショナル様でした。同社の前田社長が「継続的に支援させていただきます」と言って送ってくださったのが、長年に渡る研究成果と販売実績がある「バイオ・ノーマライザー」という頼りになるアイテム。福島県内に入るときは、必須アイテムとして常に持参しておりました。
そこで、常に周りに気遣い自身のことは後回しにしてきた方たちのもとへ、この「バイオ・ノーマライザー」をお届けすることに決めました。そのために前田社長も現地を訪れてくださいました。

株式会社三旺インターナショナル
代表取締役社長 前田健司さん

この度、プレマ基金様のお力を拝借して、福島の被災地へ同行させていただきました。
実は、私は震災の1ヶ月後の平成23年4月に、自家用車に「バイオ・ノーマライザー」を積めるだけ積んで、京都の自宅から現地へ向かいました。「バイオ・ノーマライザー」を被災地で働く多くの原子力発電所作業員の方々に使っていただくため、発電所事務所に持ち込みましたが、実際に作業員の方々に届くことはありませんでした。その後も、被災地支援をしたいと思ってもなかなか窓口が見つからず、やりきれない思いをしていたところ、プレマ基金様の被災地支援のお話が舞い込んできました。そして今回、被災地への同行に至ったのです。

福島県相馬市児童センターの皆さん

ここに来るこどもたちのご両親は共働きが多く、保育園や学校が終わったあと閉館までこどもを預かってもらえることから、多くの人がここを利用しています。ここで働く先生は教育者であり母の代わりでもあり、こどもたちの成長を見守っています。いま福島で暮らす人には放射線被曝という心配事がつきまといます。若い先生も多く、これから結婚、出産を控えている未婚の女性たちは特に、こどもたちと同様、心配が尽きません。

福島県相馬市
学校法人みどり幼稚園 様
理事長ご家族


「その日は駄目で、次の日にしてください。バイオの社長さんに直接お礼を言いたいのでお願いします。」
バイオ・ノーマライザーをお届けして約1ヶ月。「一定の効果があったとかではない。驚くほど体調が良いです。」こうして製造元である三旺インターナショナルの前田社長が訪れることになり、ご愛用者のご意見と、提供者による、より良い食べ方などご意見を交わされました。もっとも実感できたこととして、「夜はリラックスでき、朝はスッキリするようになりました」とご家族口を揃えておっしゃっていました。

福島県相馬郡飯舘村草野宮内156
綿津見神社
宮司 多田 宏さまご家族と、氏子総代2名様

避難地域に指定された現在の飯舘村放射線量は1.5~2.5μSv/h(写真は車内で計測)
宮司の多田さまご夫婦は現在も鎮守様と共にこの飯舘村にお住まいです。
福島で高線量を浴びている皆さんに長期的な支援をするならここしかないと、バイオ・ノーマライザーをお届けしました。静まりかえった飯舘村の街並みを走っているとなんとも切ない気持ちになります。全国に広まりつつあった飯舘ブランド牛などは、あろう事か出荷停止で有名になってしまいました・・・そのほか、凍み餅・凍み大根・凍み豆腐など素朴な田舎の味がこの飯舘村から消えてしまったのです。

福島県相馬市 相馬保育園
園長 中江千枝子様

3.11の震災から3日で再開した保育園の園長さん(中央)。心労もあり夜も緊張が続くそうでお試しいただいております。「おやつの時間に園児がおやつに手をつけないという震災当時の話には我々 も涙しました・・・。園を再開したまでは良かったのですが、園児に水道水と県内の食品は与えないことを徹底するも、物資の不足に悩まされました。」と、お話しされる園長先生。ときには心ある方からのパンやお菓子、お水などの支援があったものの、おやつの時間に園児たちはなかなか手をつけません。「お家に帰ってお兄ちゃんと半分こするの」「お家でお母さんと食べるの」「メロンパンお兄ち ゃんの大好物なの」と口々に言いだすこどもたち・・・小さく幼い園児たちの家族・兄弟を思う大きな気持ちに心が癒されました。この時期、物資の供給もままならない福島県下ではそんなドラマが幾つも在ったのではないでしょうか。

相馬市玉野地区にお住まいの高玉様

こちらのお宅は農業を営んでおります。高玉様は「高放射線量で、現在は作付けもしておらず、今の職業は主夫です」とおっしゃいます。そんなことを笑顔でお話しされてはおりましたが、代々続く家業に原発事故が影響し、仕事が成立しないストレス、今後の不安など心労は計り知れないものがあるのではないかと思います。

福島県伊達市霊山町
霊山峠のジャージー牧場アイス屋 片平雄作様

2μSv/h前後ある霊山峠、登山口近くは5μSv/hまである高線量地域。
片平さんは牧場も営み、毎回出荷時は福島県の指定検査機関に放射線量の測定を行い店内に表示しております。もちろん不検出なので販売しているわけですが、表示することにより、より安心してお買 い求めいただけるよう細心の注意を払いながら美味しいジェラートアイスを販売しており、私たちも行くたびに寄らせていただいています。
いまではお客様も大分戻ってきたそうですが、2011年の6月に訪れたときは1時間の間に3~4名が立寄る程度でした。そんなことで心労が重なっていたと思われる片岡さんのお店を、バイオ・ノーマライザー支援先に選ばせていただきました。
美味い!と前田社長も沢山購入しクール便で発送しておりました。

仮設住宅にお住まいの阿部様

仮設住宅に移って約一年、元々漁師の阿部さんは3.11震災の津波で家も車も流され、着の身着のままで避難所生活を余儀なくされました。船は無事だったものの漁は止められ、仮設住宅に住むようになってからも毎日築港に出かけては網を整えたり、船を洗ったりと出船に備える日々が続きました。生まれたときから海で育ち親の代から漁師として育ってきた阿部さんにとって、海に出て魚を捕れない日々はどれだけ辛いことだろうと考えると胸が痛くなります。
それでも阿部さんはみんなの思いや愚痴を聞く役を自ら引受け、毎日を明るく過ごしております。


二日間の福島訪問を経て、翌日はプレマ(株)主催のバイオ・ノーマライザーについてのセミナーがありましたのでその足でセミナー会場へ向かいました。参加者へのご挨拶では実際に福島へ行き、支援先で触れ合ったそこに暮らす人たちとの体験をお話しされました。そして前田社長は思わず涙・・・セミナーの動画は1部2部に分けページの最後にございます。

現地では、学校・幼稚園の教育関係者、漁師、農家の方々にお話をお聞きし、テレビや新聞で見る原発関連のニュースは、ただ表面的でしかないことへの憤りを感じさせられました。被災地の皆様がそれぞれの立場や環境によって多くの問題を抱えられている悲惨な現状と、それぞれの将来に向けた強い意志と熱い思いに触れたことに、支援に行ったはずの私が逆に勉強させられることにもなりました。
「バイオ・ノーマライザー」は、1986年チェルノブイリ原子力発電所で起きた原発事故の放射線被ばく犠牲者の方々へ投与され、その臨床結果が認められました。この人道的ミッションにより、ゴルバチョフ元大統領ご夫妻が本社のある岐阜市に訪れ、感謝状を授与されました。
今回は、この「バイオ・ノーマライザー」の製造販売元として、被災現場でどのように「バイオ・ノーマライザー」が活用させていただけるのか、を課題に訪問させていただく旅となりましたが、プレマ基金様を通じて「バイオ・ノーマライザー」を有効に活用していただくことになり、心より感謝しております。
また、今回の訪問によって、被災地への長期的な支援の継続が必要であることが改めて感じさせられ、「バイオ・ノーマライザー」が、少しでも地元の方々へのご支援となるならば、弊社も微力ながらご協賛させて頂きたいと思っております。