「プレマ基金」は、プレマ株式会社の従前からの社会貢献活動をいっそう発展させたものです。
未来を持続可能な支え合いのコミュニティーにするために
プレマ基金は、ボランティア組織ではありません。いわゆるNPOやNGOとも違っています。私たちは一介の市民であり、普段は食や生活の安全を目指す商取引を通じて、お客さま の健康増進と地球環境保全のための小さな営みを行っています。そこには、現代社会の根本基盤となっている「人間関係」と「経済」が存在します。真に持続可能な関係とは、この2つの要素が信頼で結び合ったときに起きうると考えています。
厳密な意味では、この活動はいわゆる企業のCSR活動とも違います。特別な部門を設置して特定のメンバーが実施する活動ではなく、「我こそはこれができる」「これがしたい」という瞬間的な判断で取り組むものであり、管理をするために細かい規定や予算枠も設定しません。これらはときとして「前例にない」事態に対する足かせとして機能することすらあり得ます。つまり、人間関係が既存規定に優先します。
日々の事業活動そのものが健康と環境保全に直結するものであることも大切です。誰かが不幸になることによって利益が発生するモデルでは、狭義の「企業の社会的責任」ですら果たすことはできません。企業は社会の一部であると同時に、エネルギー循環としての経済、ひろくは自然界全体の一部とも考えられるからです。
人間関係と経済、その間にかかる信頼という橋をベースに、いま最も困っている人の役に少しでも立ちたいと思う気持ちの結晶が「プレマ基金」です。
プレマ株式会社のミッション&ビジョン
プレマ基金は、プレマ株式会社の掲げるミッション&ビジョンを完全に共有しています。
ボランティア組織でも、非営利組織でもない支援のかたちが、
日本の経済と社会を支え合う未来を目指して、私たちは微力を尽くします。
プレマ基金代表 プレマ株式会社代表取締役 中川信男
プレマ基金のはじまりと、より具体的なありかた
プレマ基金の設立に至る経緯
プレマ株式会社は大震災の一報を受け、従前の大災害発生時と同様に日本赤十字への送金を開始しました。しかしながら、今回の震災の規模は範囲、被害の深刻さにおいて近年例をみないほど甚大であり、大組織では「公平を期す」ために義援金の配布や活用が速やかに行われていないという問題が明らかになりました。特に、今回の原発事故による被害は人間が引き起こしたといえ、食の安全と環境保全を目指してきたものとして「誰かにお任せ」ではすまないという自責の念もあり、公平や平等をいう前に物資と資金を用意して福島に向かうことを決めました。
プレマ基金の活動履歴
震災当初、放射性物質による汚染地域には必要としている人に支援が行き届いていない状況でした。そこで福島県下の行政に必要なものやことを問い合わせしましたが、返ってくる答えは「もう充分すぎるくらいなので、ご心配なく」というものばかりでした。しかし実情は全く違っていたのです。積める限りの支援物資をバスに詰め4月上旬に京都を出発しましたが、放射性物質汚染の強いところや原発に近いところほど、すべてが足りていないのです。そこで充分にものを買うことの出来るエリアと不足している地域やコミュニティーの間を往復し、買えるだけ買ってはお渡しし、また調達に戻るということを繰り返しました。震災後2ヶ月経っても「震災以降初めて野菜を食べた」という感想までいただくありさまでした。
そのままスタッフ末武を福島に残し、9月頃まで「ありのままの被災の姿」をお聞きし、ビデオに残し、さらに必要なものやことをお伺いすることを続けます。この時期には「まず正確な汚染状況を知ることが大切」と判断し、入手出来うる限りの空間放射線を量るガイガーカウンタや食品汚染を計測できるベクレルモニタの提供を中心に行いました。福島県下の市民測定所や有機農業団体、地域コミュニティー、学校や民間企業など提供先はさまざまです。避難所や仮設住宅におられる皆さんの健康維持や生活応援も継続しました。
震災後1年経っても、放射線量が低いとされる相馬市のなかでも飛び抜けて放射線量が高い玉野地区では食糧すら不足しているという事実を知ります。高齢者が多く、また自給自足をベースにしてきたこの地域では、農業補償や行政の支援もほとんどなく、少数者は取り残されるという現実が浮き彫りになりました。基金として食糧提供を行ったり、呼びかけを続けたりしています。現在は沖縄県の宮古島の農業関係者の皆さんから「同じ農家として放置できない」との声があがり、悪天候による戦後最悪の収穫のなか、応援しようとアクションが続いています。また地域の子どもたちの笑顔と健康を守る活動も継続しています。